民族間の差異の形成と強化の過程の一考察 ―― 北アイルランドにおける文化的アイデンティティとしてのスポーツ文化

1.はじめに

 北アイルランド問題は、アイルランドにおいて多数派のカトリック系住民と、イングランド系・スコットランド系において多数派のプロテスタント系住民間における民族問題である。イギリス連邦に所属する北アイルランドでは、たびたび独立運動が行われている。近年では、1970~90年代に北アイルランド紛争として、カトリック系住民による激しい分離独立運動が行われた。また、2016年のイギリスのEU離脱をめぐる国民投票では、アイルランドへの帰属を訴えてきたカトリック系住民の多くはEU残留を支持し、一方プロテスタント系住民の多くはEU離脱を支持するところとなり、対立が顕在化する懸念を帯びている。

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 一方、スポーツは一般的には各人の自由な意思の下になされる活動と定義される。しかし、歴史的にスポーツは政治に利用されてきた。1936年のナチスドイツによるベルリンオリンピックのように、国力を証明するためであったり、群衆の支持を得るためであったり、さまざまな理由が存在するが、政治的目的を達成するための手段としてスポーツが重要な役割を担ってきたことは、歴史的事実である。さらには、象徴的に祭り上げられた民族スポーツが国民的に受け入れられ「自分たちの文化」として認識する現象もみられる。したがって、スポーツは、集団への帰属意識を促す政治的構造に組み込まれうると考えることが可能である。

 大沼(2003)は、北アイルランドにおいて、英国スポーツに対抗するというナショナルな役割を持つアイリッシュ・スポーツが見出されていった過程を明らかにしている。また、海老島(1998)は、北アイルランドにおけるコミュニティ分断に関して、スポーツが関与した重要性を指摘し、それぞれのコミュニティが、その個別性を表現する手段としてスポーツを利用してきた過程を明らかにしている。

 以上の二人の研究を踏まえて、北アイルランドにおける異宗教住民間の差異の形成と強化のプロセスにスポーツがどのように寄与してきたかを、エスニック境界論に依拠しながら考察する。

 

2.北アイルランド問題の構図

 アイルランドにおける英国の支配は、1690年のボイン川の戦いで、プロテスタントウィリアム3世カトリックジェームズ2世を破ったことで確立したとされる。以降、多数派のカトリックに対する少数派のプロテスタントの優位が、政治・経済を含めあらゆる場面を通じて構造化されることになる。1992年に「アイルランド自由国」の誕生し、英国から独立を果たすことになるが、スコットランドからのプロテスタント入植者が多かった北部アルスター地方は分離され、現在のアイルランド共和国北アイルランドに分割された。北アイルランドプロテスタントカトリックともに4割を占め、ナショナリストユニオニストの政治的対立に呼応している(大沼 2003, pp. 90-91)。

このような歴史的背景から、北アイルランドにおいては、宗教コミュニティはそのまま民族集団として置き換えることができる。したがって、プロテスタント系とカトリック系の対立という構図は、その背後にケルト人としての、アイルランド人としてのアイデンティティと英国国民としてのアイデンティティの対立を孕んでいるといえる。

 

3.スポーツによる差異の形成

 大沼(2003)は「英国スポーツ対アイリッシュ・スポーツといった構図はまた、社会的エリート対民衆という関係とパラレルであった」(大沼 2003, p. 93)と指摘している。大沼は、英国スポーツのカウンター・スポーツとして見出されたGAA(Gaelic Athletic Association)に注目する。GAAとは、ゲーリック・ゲームズと呼ばれる伝統的なアイルランドのスポーツの統括と普及を目的とした団体である。北アイルランドでは、プロテスタント系市民が伝統的に中上流階級を占めるという傾向が現在も根強く残っている。社会的エリート層へのプロテスタントの包摂と、そこから排除されるカトリックという構図があるなかで、英国スポーツは、カトリックにとって英国支配のシンボルとなっていた。こうしたなか、アイルランドの伝統スポーツを復活・保護・育成を通じて組織化していったGAAの取り組みは、「英国スポーツに対するカウンター・スポーツ」(大沼 2003, p. 93)として取り上げられることとなる。GAAの試合開始前の国旗・国歌はもとより、テレビ・ラジオ等のメディアに登場するのはゲール語であり、北アイルランド内でのGAAはカトリックのスポーツと同義となっている。

 このように、北アイルランドにおけるカトリックのスポーツ文化として、GAAが見出されたということは明らかである。つまり、プロテスタントvsカトリックという構図において、カトリック集団によって英国スポーツ文化に対するアイリッシュ・スポーツ文化が見出された。こうして、スポーツは、北アイルランドにおける宗派的社会的分断つまり差異を構成する一要素として組み込まれた。

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 GAAにおけるメジャー・スポーツのゲーリックフットボール

GAA: Dublin v Mayo All-Ireland football final key battles | GAA News | Sky Sports

 

4.スポーツによる差異の強化

 集団間の差異を強調する重要な役割を担うひとつに教育が挙げられるだろう。海老島(1998)は、カトリック校におけるGAAとプロテスタント校におけるラグビーが、それぞれの相違を顕著に示すシンボリックな役割として機能していると指摘する。北アイルランドでは、カトリックプロテスタントは、それぞれ別の教育制度において教育を受けている。そして、カトリック系のセカンダリー・スクールでは、GAAの種目だけが主にプレーされる。一方、プロテスタント系のセカンダリー・スクールだけが競技としてラグビーを採用している。そしてこのことは、海老島が、「アイルランド社会においてスポーツの位置づけや、生活における浸透度は非常に高いため、学校でのスポーツ体験、その後のシニアレベルでのスポーツ実践は異なった社会を象徴する大きなバックボーンになってしまっている」(海老島 1998, p.102)というように、別々の教育システムが社会の文化的分断を再生産させるキー・ファクターとなっていることは明らかである。言い換えれば、セカンダリー・スクールにおけるスポーツ種目の選択が、北アイルランドに根付いた宗教集団間の差異を強化する働きを持っているということになる。

 

5.結論

 本考察では、北アイルランドの集団間における差異の形成と強化に、スポーツがどのように寄与してきたかを考察してきた。北アイルランドにおいては、伝統スポーツがナショナリストによってコミュニティの個別性を表現するスポーツ文化として象徴的に取り上げられ、教育制度によってその個別性を再生産されてきたことを示した。しかし、北アイルランドの全てのスポーツが集団間の境界を生みだしているわけではない。サッカーはカトリックプロテスタント双方に広く受け入れられプレーされている。教育現場においても、分断された教育カリキュラムのなかでもサッカーは双方にとって主要なスポーツ種目となっている。もちろん、大衆化したが故に、チームのコミュニティ基盤や地域性による対立など、別の問題が映し出されることになるが、サッカーを取り巻く環境には、異なる社会背景をもつ人々の交流となる大きな可能性を秘めていることは確かである。

 

【引用・参考文献】

海老島均(1998)「分断された社会におけるスポーツ:アイルランドにおけるスポーツのシンボリズムと文化的多様性に対する寄与に関する研究」、『スポーツ社会学研究』、Vol.6、pp, 98-102

大沼義彦(2003)「アイルランドにおけるスポーツの背景:エスニシティとナショナル・アイデンティティとの間」、『北海道大学大学院教育学研究科紀要』、第89号、pp, 89-103