教育を勉強したくなった本
はじめに
学生時代は教育学部に所属していた。今は大学院で教育学を研究・勉強している。
さっさと現場に行けと言われることが多いが、全国で教職大学院が広がっているように、教育、特に学校教育界隈はマスター(修士)レベルまで行くことが進められてきているのだ。僕は教職ではなく研究の方だが。
さて、
とはいえ、専門書レベルは少しくらい読んでおいた方がいいのも確かだ。知的な面白さに出会う確率は、そうした本であることが圧倒的に高い。
●教育そのものへの興味
鷲田清一『京都の平熱』講談社
なんとなく教育学部へ行こうと決めた高校3年生の5月。京都生まれ京都育ちの哲学者の鷲田先生が地元のことについて書いたエッセイが売っていたので読んでみたら、思いのほか(失礼)面白かったのだ。そこでちょっと教育について触れた節がある。
「教育」だとか「人づくり」「次世代育成」などと、ひとは言う。「育てる」というこの他動詞のことばが好きではない。じぶん自身をもてあまし、扱いあぐねているおとなに、「育てる」というえらそうな物言いがほんとうにできるのか、と。「青少年の育成」ということを口に泡して語るごとに、おとなたちはじつは、じぶんが内に抱えこんだ渇きやもがき、あがきを隠しているのではないか、と。(中略)「育てる」より、「育つ」という自動詞のほうが抵抗は少ない。(p.228)
雷に打たれたような気持になったことをよく覚えている。高校生の僕が「教育学部に行くっていっても、そもそも自分だって大したことないのに、人に教えるなんてなんて高慢なことなんだろう」と思っていたら、鷲田先生が同じことを言ってくれていた。大変心強かった。
●人が育つとはどういったプロセスなのだろう?
さて、教育学部に入ったはいいものの、色々疑問が出てくる。教育とは何か?人が育つとはどのようなプロセスか?では、「学ぶ」は?何を目的に教育を行うのか?何が「良い」教育なのか?
教育学部のくせに教育のことが分からないのだ。アイデンティティの危機である。とはいえ、上のような疑問に完全に答えてくれる絶対的な答えなど存在しない。自分や周りが納得できる、そして教育する対象に誠実であるような論理を、自分で作り上げていくしかないのだ。そのためのヒントとなったのが、以下の2冊だ。
矢野智司『意味が躍動する生とは何か―遊ぶ子どもの人間学』世織書房
遊んでいる子どものあの比類ない喜びや楽しさはどこから来るのだろうか?子どもたちは遊ぶことでどうなっているのだろうか?子どもという在り方が、意味を創造しながら豊かに生きていくうえで不可欠であることを示してくれる。
高橋勝『経験のメタモルフォーゼ―〈自己変成〉の教育人間学』勁草書房
経験のメタモルフォーゼ―〈自己変成〉の教育人間学 (教育思想双書 9) (教育思想双書 9)
- 作者: 高橋勝
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2007/08/08
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
人の成熟の行きつく先、つまり教育の目的地とはどこなのだろうか?という自分の疑問にたいして、「そんなものはない」とぶつけてくれた本。つねに流動し続け、自己編成し続けていく経験の様態そのものが重要である、ということを丁寧に論じてくれている。
●世界の教育事情は?
アマンダ・リプリー『世界教育戦争』中央公論新社
PISAで世界各国の教育への注目が高まった。おかげで「ウチの国の学力は○位だ」と一喜一憂している。HONZの書評が面白いので、そっちを読んでほしい。
●幼児教育
ジェームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』東洋経済新報社
もはや、幼児教育界隈では必読書になっている本だ。非認知能力(社会情動的スキル)が、社会的な成功を果たすうえで重要な要素である、ということを縦断的な調査により証明している。そして幼児期の教育こそ、非認知能力を高める最も大切な時期なのだ、という主張をしつつ、データで読者を殴ってくる。読み終わった時には「やっぱり幼児教育こそ重要なんだ!」と、いい意味で(?)洗脳されている。僕は洗脳された。
●図書教育
アントネッラ・アンニョリ『知の広場―図書館と自由』みすず書房
- 作者: アントネッラ・アンニョリ,柳与志夫[解説],萱野有美
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2011/05/11
- メディア: 単行本
- クリック: 24回
- この商品を含むブログ (25件) を見る
膨大な情報が、インターネットで検索できる時代である。図書館はどんな場所になっていくのだろう?学校であれば図書室という場所がある。図書教育というものがある。読書という経験を、読書経験をする、図書と出会う場所を、どのように考えていけばいいのだろうか?