夜のベランダから

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哲学カフェのネタで思考訓練

 参加するはずだった哲学カフェが中止になってしまった。参加するとメールを送ったのが、開催日2週間前である。大学に行く道すがら、自転車に乗りながらテーマについていろいろと考えたことをまとめておく。どこかで使えることがあるかもしれない。ただし、哲学カフェのネタなのでなるべく専門用語は使わない。哲学カフェ的な思考形式に則って思考を進めていく。

 テーマは「サービスとはなにか」だった。

サービス

 まず思いつくのは、「サービス」という言葉の2通りの使われ方である。

  • ひとつは、職業としてのサービス。つまり、あるもの・ことを提供することによって、金銭的な対価を得る労働行為としてのサービスである。サービス業なんで言いかたはまさにそれでだろう。

  • もうひとつは、「これ、サービスね」とちょっとおまけをくれるようなサービス。ここで提供されたもの・ことについて、提供者側への対価は求められていないように思われる。このとき、後者のサービスには、「見返りは求めていません」というメタ・メッセージが存在する。

 そういえば、哲学カフェの案内文に、なぜこのテーマにしたかが書いてあった。そこにこんな一文が。

サービスとボランティアの違いはなんでしょうか

 後者のサービスの定義は、一見ボランティアと意味が被るような気がする。僕たちは、どのようにこの二つの言葉を使い分けているのだろう。そこには、一見同じ行為に見えるが、その認識、意味に何かしら異なるものがあるのだろう。

さらに考える。

 さらに考えていく。ここから先で言及するサービスとは、先ほど挙げたうちの、後者のサービスの意味合いである。

  • 例えば、サービスとは個人から特定の個人への贈与的行為をさしている、という仮定はどうだろう。というのも、僕たちが一般にボランティアという言葉を使うとき、ボランティアを行う対象は特定の個人を指して「いない」ように思われる。

  • もうひとつ。サービスには、返答の義務が発生する可能性がある思われる。つまり、サービスを受け取った側に、「サービスです」と言った時点で何かしらの負い目が発生することがあるように考えられる。

 例えば、ある喫茶店に行く。「サービスです」と言われてコーヒーのお代わりをいただく。こっちとしては、悪い気はしないだろう。「次もここを利用してみよう」と思うかもしれない。つまり、「なにかしてもらったから、ここになにかしよう」という、分かりやすい贈与交換の論理が働いている。このとき、喫茶店のマスターは「ボランティアです」とは言わないだろう。サービスとボランティア、それぞれの行為を受け取る側に、微妙な意味の差異が読み取れる。

 逆にボランティアされる側としてみればどうだろうか。ボランティアされる側には、もともと何らかの不利があるからボランティアされるのかもしれない。となれば、それはマイナスを少しでもゼロに近づける行為であり、サービスとはゼロかプラスの状態を、よりプラスにする行為である、と捉えることもできそうだ。

以上。閉廷。