夜のベランダから

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引越しについての日記

大学進学を機に岡山に来て5年と少しが経った。9月いっぱいで、今住んでいる岡山から京都に引っ越す。研究と実家の都合を鑑みて地元に帰るのだ。

岡山市に来た時、北に山が見えてホッとした。京都という三方山に囲まれた土地で育ってきたので、 生まれてこの方、山という定点に方向感覚を頼っているからである。城下町だったおかげで、x軸とy軸のグリッドで場所を把握する感覚もすんなり掴めた。この辺りも京都とよく似ていた。岡山では同じ区のなかで2回引っ越した。しかし北に山があり、東には川があった。その景色自体が大きく変わったわけではない。ただ引っ越した土地の雰囲気が変わるのは好きだった。

岡山は、程々に都会、程々に田舎、広くもなく、狭くもなく、人生がそのままその土地で完結しようと思えば出来てしまうような広さであるように思った。岡山駅から歩いて行ける範囲には、百貨店やイオンがある。家電量販店もあるし、そこそこ活気付いている商店街もある。博物館や美術館も充実していて、比較的成熟した都市の趣きがある。何より喫茶店が多かったのも嬉しかった。

接した人たちも、良い人が多かった。良い人というか、純朴というか、良くも悪くも田舎の風土のなかで育ってきたような、そういった価値観をもった人が多かったように思う。 生活の過ごし方、振る舞いは、田舎のそれでだった。ヤンチャな子も多かった。しかし行き過ぎていない。やんちゃのベクトルがヤンキーなのだ。京都にいた頃、というか中高と、京都というより「関西」という括りの人間関係のなかで育ってきた。大阪はもとより、兵庫や滋賀や奈良から来ている友人も多く、ある種そういった他の文化圏の人間と接していく術を学んでいたが、裏を返せば同質の価値観を持つ集団に入っていく術を身につけていたわけではなかったのだ。

そういう意味で「公立高」至上主義の価値観が通底にある岡山はある意味で新鮮だった。 岡山は高校というブランドに価値が置かれる。もしかしたら、他の地方都市もそうなのかもしれないが。とにかく出身の高校、特に特定の公立高校への畏敬の念が感じられた。出身高校を言うと態度が変わる、なんて現場をたくさん見かけた。一方で、県外の高校なぞは歯牙にもかけないようだ。

おかげで、過去の自分を知らない人たちの前で、もう一度自分を表出できるのは良かった。「旅は恥のかき捨て」の拡大版とも言うべきか。5年半の長い旅行に行っていた気分でもある。そう思いながら夕飯の買い出しに行く。引越しまで間がないから、保存の利かないものや調理器具は大分捨ててしまっている。料理するのもあと数回だろう。

10月にはもうここにいない。