夜のベランダから

アーカイブ

保育という仕事

みんな辞めていく。

本当に保育園は生きるために働くには向いていない。

賃金が安い。働く時間が定時で余暇の時間が比較的あるとしても、自分の豊かな生活のためにかけるお金が少ない。日本で生きている限り、楽しさの多くは〈お金と時間〉or〈お金と知識〉をかけることによって成立するので、お金が少ないと人生が楽しくならない(人が多い)。

賃金が安いから人が数年経てば辞めていく。本当にポンポン辞めていく。辞めていくから人が足りなくなる。少ない人数で保育を回すから、先生たちの余裕が常に無い。見ていて辛くなる。

辞めていくから人を育てるという思考が貧弱になる。加えて、保育そのものをセンスで成り立たせている先生が多すぎる。確かに保育の良し悪しを決める第一の要素が先生の持つセンスだ。ちょっとした変化に気付く能力とか文脈を読む能力とか気遣う能力とか。これらって、いずれも元々その人が持っているセンス(先天的能力)であって、組織としてマネジメントする分には伸ばしにくい能力なのだ。それによって保育という行為が成り立っているから、先生の持つセンスを信奉する。なおさら育てようという思考が出てこなくなる。前に話した人は先輩に聞かなくても察して動ける新人が欲しいと言っていた。いつまでもファンタジーの話をしている。

育て方、町工場の職人教育みたいなことになっている。「他の先生を見て覚えろ」「身体で動いて覚えろ」という。言語として「この場合はこうする」と教えることがほとんどない。というか時間がない。だから新しく入ってきた人が馴染みづらい。ウィトゲンシュタインは「言語によるコミュニケーションのためには、定義の一致だけでなく、(奇妙に響くかもしれないが)判断の一致が必要である」(『哲学探究』242節)という。判断の一致には時間がかかるし、そのためには既にいる人たちのフォローが必要なのだけれども、「現場」ではその一致を待っている時間がとれない。なので同じ言葉でも、先生が指している事柄と新しく入った人が考えている事柄はいつまで経ってもずれている。3年もった先生は、そういうふるいにかけられてごく僅かに生き残った先生だ。けれどその先生ももうすぐ辞める。

人が少ないから役職が少ない。小さい園では3年もいれば主任になれてしまう。けれどそこでキャリアは打ち止めになる。保育というキャリアの天井が見えてしまう。仕事において保育業務以外に時間がなかなか取れないので、保育研究に時間が割けない。保育という職業に就く目的から、保育の追求という道が消える。残るのは「子どもたちと接すると癒される」「あたたかい人間関係」という売り文句になる。なのでみんな辞めていく。......この記事、万が一僕の現場を知っている人に読まれたら一定の怒られが生じる気がしてきた。

これから保育園はどんどん潰れていくんだろうな。「保育園落ちた、日本死ね」によって待機児童の問題が騒がれてから、行政は数年でこの問題を解決しつつある。園からしてみれば不安と隣り合わせだ。行政に言われて園をバンバン作って、既存の園は定員を増やしたのはいいものの、すぐに少子化の波がやってくる。連盟に加盟している園は既に定員割れの話をしている。もう怪しい園もある。住宅地開発が進んでいる地域なのに。体力のない保育園はどんどん潰れていくと思う。当然、未来のない園で自分の人生キャリアは描けないのでみんな辞めていく。

税金かけて保たないと保育は成り立たないのに、教育・保育業界にはどんどん競争原理が入ってきている。もう、時代に合わせて縮小していくこと、上手く撤退することに照準を絞っていかないと地域の小さな園は生き残れないと思う。

なんか話がずれてきてんな真面目に論理立てて書こうと思ってたのにいや全然論理立ってないし一般論の塊じゃねえかあと保育の仕事の話をするのか経営の話をするのかどっちかにしろすんません終わります(お前こういう感じで終わるの良くないぞ)