きつねののーと

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仕事を始めて半年

  • 働き始めて半年の感想。
  • 3月で大学院を修了し、この4月からあるこども園で正規採用となった。やっている仕事はほぼ事務。
  • 家に帰ってしまうと、寝るまで時間があっても何かやろうとする気力がなくなっている。何か生産的なことをしたい場合、職場から家路につくまでに何かしたほうがいい。つまり学生の時と変わらない。
  • 社会保険等の全体像が見えなくて、自分が社会的にどう守られているのかが分からない。
  • 定期的にまとまったお金が入るってすごい(小学生か)
  • エクセルの知識が無駄に増える。IF関数超便利。SUMPRODUCT関数いつもありがとう。とはいえ、まだ作業工程は多いのでいい加減マクロを覚えたいが、優先順位は高い方ではない。先に学習すべきことが他にある。
  • プログラミング入門サイトのProgateをちょろっとやってみてから、休みの日にはたまにHTMLとCSSに触れて遊んでいる。markdownを使うためにAtomの使い方を色々覚えたのがここで功を奏している。
  • 大体の支払いをApple payとカードで済ませているので、何かそれなりの額を現金で支払わなければならない場面はドキドキする。
  • 教育・保育というより経営側の立場で働いているから、有用性が思考原理になる場面が多い。敬愛していた教育哲学の先生がにやっと笑って「●●さんも資本主義に染まるんですね」と言っていたのが思い出される。
  • 職場は特定の人間関係によるストレスがたまる。音楽をかけるか、イヤホンをつけたいけれど業務上それは叶わない。

1月の日記・雑記

1/5 卒業と次

大学院修士課程修了が現実味を帯びてきた。修了すれば働き始めることになる(一部界隈では「退院」と揶揄されている)。

大学生になってからは、社会において「学生」という属性がポジティブに受け取られることを早々に知って、その属性を利用し、また甘受してきた。この鍵カッコが付く「学生」は、若ければ若いほど効力を発揮している謂わば呪いみたいなものなのだが、それを僕は修士まで御守りのひとつとして活用してきた。

卒業と同時に「学生」ではなくなるため、この御守りは使えなくなってしまう。例えば、Twitterで「社会に出ると誰も注意をしてくれないだけで許されているわけではない。そして、あなたが気づいていない扉が音もなく閉じている」というのを見た。大学だって広義の「社会」ではあるけれど、「学生」でいたうちは誰か注意してくれていた人がいたのだ。

そういった恩恵ももうなくなるわけで、「社会人」になることより「学生」でなくなることを多少の覚悟しておかなければならないなと思う。

1/14 振り返り

修論がほぼ書き上がった。僕がこれ以上修正する気力が失せたと言ってもいい。論文提出の後も抄録の作成や口頭諮問の準備があるので、しばらく研究活動自体は続くが一応は区切りがついた。

ここ数日、自分の書いた論文を見直しながら、学生生活で出会った人たちのことを振り返っている。3年以上一緒にシェアハウスをした友人は元気だろうか。結局やってもらってばかりだった。肉ばかり食べていて野菜を一切食べていなかった先輩は結婚したらしい。結婚して野菜も食べるようになっただろうか。下宿から程近いところにある弁当屋のお婆さんは、僕を学生だと見るや、いつもご飯を多めに入れてくれ、さらにおまけでお惣菜を付けてくれた。それで350円だった。留学のために休学していた友人は去年まで大学にいて、僕がやりたいことに色々付き合ってもらった。よく温泉に一緒に行った。彼は地元で教師になった。最近インスタに投稿していないが、元気にやっているだろうか。

大学という、多様な評価軸が保障されている場所では、こちらが意図せずとも全くタイプの異なる人と関係を持つことがある。偶然性が排除されていないともいえる。その場所が心地良くて、もう少しで終わるのが寂しくもある。

12月の日記・雑記

インフルエンザに罹った

10年ぶりにインフルエンザに罹った。前に罹ったときの身体のだるさやしんどさはもう覚えておらず、「ただ頑張りすぎた後に来るだるさ」との区別がつかないまま2日バイトを頑張ってから病院に診察に行くことになってしまった。こういった病気のしんどさを感じることはご無沙汰で、すっかり他人のしんどさに共感できないところまで来てしまっていた。折角の機会なので、この身体のようすを覚えておこうと、日々の経過を紙に起こして意識づける。これを機に病気に関する間主観的なコミュニケーションの取っ掛かりを少しでも取り戻せれば良い。「つらさ」や「弱さ」に共感することはヒトにしか出来ない機能である。

診断してもらいに、住んでいるところから一番近い診療所に行った。ただそれだけの理由で行ったのだけれど、インフルエンザの診断中は待っているしか無いのでぼうっとしていると、ある医者がやってきて「君、昔A病院に入院していた○○さんの息子さんかな」と言う。聞けばその医者は開業する前はA病院に勤めていて、亡くなった父の主治医だったらしい。笑いながら「その節はお世話になりました」とだけ返す。久しぶりの病気と同じように、10年以上前に死んだ父に関する情動もほとんど無くなっているのか、お世話になったらしいその先生には何も思うことなく、ただ場当たり的に返事した自分に少し驚く。

ふと、「ヒトは忘れる能力を持っている」という話を思い出す。事実や客観知は結構長くまで残っていても、特に情動は比較的すぐに忘れてしまう。失恋だって1年もあれば笑い話できてしまうのはそのせいだろう。その昔は関係者であったであろうその医者に、もはや何の個人的感情も湧いてこないのは、時間が経って忘れてしまい、またその人との関係性をリセットしてしまったからなのだろうな、とも思う。長く付き合う人は定期的に会っている人だという理屈はなかなか理に適っているなとも思う。

修論を前に

あまり前向きにやろうと思って始めた研究ではないので、なかなか前に進まず気付けば提出一ヶ月前まで来てしまった。まだ取っていないデータもある。データを取る為には複数の人にお願いをしに行かないといけない。反面、別にどうでもいいと思う自分もいる。そもそも修士課程に行った目的は研究ではなく、他分野の勉強とモラトリアムを延長するためで、それはほぼ達成している。

とはいえ世間体はそう見ないし、一応2年近く指導してもらっている指導教員の僅かな期待にも応えないといけない。「しないといけない」ことが多い場合、苦行になる。こちらとしてはなるべく楽しくやりたいのだけれど、それは指導教員との相性にも拠るところなのだろう。

保育という仕事

みんな辞めていく。

本当に保育園は生きるために働くには向いていない。

賃金が安い。働く時間が定時で余暇の時間が比較的あるとしても、自分の豊かな生活のためにかけるお金が少ない。日本で生きている限り、楽しさの多くは〈お金と時間〉or〈お金と知識〉をかけることによって成立するので、お金が少ないと人生が楽しくならない(人が多い)。

賃金が安いから人が数年経てば辞めていく。本当にポンポン辞めていく。辞めていくから人が足りなくなる。少ない人数で保育を回すから、先生たちの余裕が常に無い。見ていて辛くなる。

辞めていくから人を育てるという思考が貧弱になる。加えて、保育そのものをセンスで成り立たせている先生が多すぎる。確かに保育の良し悪しを決める第一の要素が先生の持つセンスだ。ちょっとした変化に気付く能力とか文脈を読む能力とか気遣う能力とか。これらって、いずれも元々その人が持っているセンス(先天的能力)であって、組織としてマネジメントする分には伸ばしにくい能力なのだ。それによって保育という行為が成り立っているから、先生の持つセンスを信奉する。なおさら育てようという思考が出てこなくなる。前に話した人は先輩に聞かなくても察して動ける新人が欲しいと言っていた。いつまでもファンタジーの話をしている。

育て方、町工場の職人教育みたいなことになっている。「他の先生を見て覚えろ」「身体で動いて覚えろ」という。言語として「この場合はこうする」と教えることがほとんどない。というか時間がない。だから新しく入ってきた人が馴染みづらい。ウィトゲンシュタインは「言語によるコミュニケーションのためには、定義の一致だけでなく、(奇妙に響くかもしれないが)判断の一致が必要である」(『哲学探究』242節)という。判断の一致には時間がかかるし、そのためには既にいる人たちのフォローが必要なのだけれども、「現場」ではその一致を待っている時間がとれない。なので同じ言葉でも、先生が指している事柄と新しく入った人が考えている事柄はいつまで経ってもずれている。3年もった先生は、そういうふるいにかけられてごく僅かに生き残った先生だ。けれどその先生ももうすぐ辞める。

人が少ないから役職が少ない。小さい園では3年もいれば主任になれてしまう。けれどそこでキャリアは打ち止めになる。保育というキャリアの天井が見えてしまう。仕事において保育業務以外に時間がなかなか取れないので、保育研究に時間が割けない。保育という職業に就く目的から、保育の追求という道が消える。残るのは「子どもたちと接すると癒される」「あたたかい人間関係」という売り文句になる。なのでみんな辞めていく。......この記事、万が一僕の現場を知っている人に読まれたら一定の怒られが生じる気がしてきた。

これから保育園はどんどん潰れていくんだろうな。「保育園落ちた、日本死ね」によって待機児童の問題が騒がれてから、行政は数年でこの問題を解決しつつある。園からしてみれば不安と隣り合わせだ。行政に言われて園をバンバン作って、既存の園は定員を増やしたのはいいものの、すぐに少子化の波がやってくる。連盟に加盟している園は既に定員割れの話をしている。もう怪しい園もある。住宅地開発が進んでいる地域なのに。体力のない保育園はどんどん潰れていくと思う。当然、未来のない園で自分の人生キャリアは描けないのでみんな辞めていく。

税金かけて保たないと保育は成り立たないのに、教育・保育業界にはどんどん競争原理が入ってきている。もう、時代に合わせて縮小していくこと、上手く撤退することに照準を絞っていかないと地域の小さな園は生き残れないと思う。

なんか話がずれてきてんな真面目に論理立てて書こうと思ってたのにいや全然論理立ってないし一般論の塊じゃねえかあと保育の仕事の話をするのか経営の話をするのかどっちかにしろすんません終わります(お前こういう感じで終わるの良くないぞ)

指導者の感情労働【メモ】

  • 同期の研究を手伝っていて、自分が考えた内容の整理
  • ホックシールド感情労働
  • 教師による教育は、感情労働の側面をもつ。
  • 教育行為は、他者を望ましい方向へと変えようとする積極的な意図行為である。
  • このとき当然に、教師自身が他者の他者性をどのように捉えるかが課題となる。
  • 伊佐(2009)は教師の感情労働について、以下のような構造を明らかにしている。「子どもの感情に対する働きかけが教授行為の基本を構成しており、教師が教授行為そのものを成立させるためには、子どもの感情を規定すると同時に、自己の感情をも規定することが求められる」
  • 教育的関係においては、教育行為の成立に感情労働が必要となることが理解できる。
  • 伊佐の指摘で注目すべきは「教師の感情労働は、強制され、他律化されるという一面をもちながらも、それと同時に、日常的な教育行為を成立させるために教師自らが行うという戦略的な側面をもつものでもある」ということである。
  • つまり、教師が感情労働を戦略として積極的に引き受けるのだ。
  • それは、教師自身の、教師としてのアイデンティティを確立する行為としても働くだろう。
  • 問題は、他律化される感情と、教師自らが行う戦略的な感情が、矛盾する、あるいは一致しない場合である。
  • 今までは教師の話であった。指導者に話を広げよう。これまでの教師は学校教師の略称であり、ここでの指導者とは、教師を含めた「教える者」として捉える。
  • まず、指導者は教師以上に、他律化された感情労働の因子をもつ可能性がある。
  • もちろんこの因子は、教育的関係の契約によって増減する。
  • しかしながら、指導者を取り巻く因子が、教師以上に多様であることは容易に想像できる。
  • 学習者のみならず、学習者の関係者(家族、友達)・指導者の関係者(雇用主、同僚)・指導する内容そのもののエートス等々
  • 教師はこれらの因子が学校教育という制度によって固定化されていて、他律化された感情への戦略を練りやすいのかもしれない。教師になる人は、「教師」という立ち振る舞いに、ある種の了解をしているともいえる。
  • 教師の感情労働の側面も時代と共に変化はあるだろうことは容易に推測できるが、それは大きな変容でもないだろう。
  • 指導者に広げると、因子が社会の価値の多様化と関連しており、まず、取るべき「良い」感情を認識するのが難しいように思われる。
  • 他にも、個人が自律的に選択した感情労働は、そう簡単に切り替えがきくものでもないだろう。しかし、学習者の個別性が重視される場合、それとの折り合いをつけていくことは困難となるだろう。
  • 指導者は、どのように折り合いをつけているのだろう。

【参考文献】

伊佐夏実「教師ストラテジーとしての感情労働」『教育社会学研究』84、125-144、2009

移動趣味としての原付

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はじめに

先日原付で一人旅に行っていた。移動趣味者を標榜する者として、原付という移動手段が果してどれだけ旅行で有用か気になってはいたのだ。

その場の気分を第一の行動原理に置く一人旅の場合、移動することそのものになるべき障害が無い方が良い。言い換えれば、自分の意思決定を阻害する要因が少なければ少ないほどいい。止まりたいと思ったときに止まることができる、入りたいと思った場所に入ることができる。これをなるべき可能にする移動手段は当然、徒歩である。立ち止まっていても基本的に誰かに迷惑をかけることはない。

しかし、移動である以上、考えなくてはならない因子がある。距離と時間である。

距離と時間、そして場所を天秤にかけながら、旅の計画は立てられるし、その移動手段も決めていかなければならない。例えば車移動の場合、移動する道、停まる場所に制限がかかる。したがって基本的に車が置ける場所にしか行けない。これでは点移動が中心になってしまう。なので、これまで自転車を使ってきたが、いかんせん体力がいる。旅行が一週間とかにわたると荷物も重くなるし、腰と背中がバキバキになってくる。

そこでバイクである。特に原付、最高速度の制限が30km/hだし、ちょっと早い自転車みたいなものだ。駐輪場に停められるのもポイントが高い。バイクならそんなに体力も取られないし、荷物は荷台に載せていられるから楽は楽である。

バイクを借りる

そこで今回バイクを借りることにした。借りたのはここ。

【公式】レンタルバイクのベストBike®

多くのレンタルバイク屋は駅から離れたところにあるのだ。そこまでどうやって行けっちゅうねん、と突っ込みたくなる。しかし今回借りたここは、横浜駅から歩いて5分の駐輪場に置いておいてもらえるということで大変便利であった。

借りたのはリトルカブf:id:antarctic_fox:20190927132828j:plain 一週間のレンタルとヘルメット、車両補償コミコミで22500円だった。同じ距離を電車を乗るよりは安い。

ちなみに原付に乗ったのは教習所で自動車の免許を取る際に乗った以来、数年ぶりである。当然カブの操作もままならず、最初の15分はエンジンが入っているのかも分からずにひたすら車体をいじってみることに専念する有様であった。

旅程

こんな感じ。 f:id:antarctic_fox:20190927132154p:plain

5泊6日で移動距離は800kmと少しである。旧東海道から伊那街道へ、そして甲州街道と、なるべく下道を走るようにした。浜松から伊那へは大体210kmくらい走ったのだが、これはさすがにお尻が痛くなった。

乗ってみて
  • 風はそんなに怖くない。
  • 追い抜かれる時はさすがに怖い。特に車体の広いトラック。
  • 白線(車道外側線)は滑る。しかもあの辺りは草が生えてきていたり、地面が少し盛り上がっていたり、ヒビが入っていたりするので、結構気を遣う。
  • 荷物の管理は考え物。今回は荷台に括りつけていたが、どこかに寄るたびに防犯上の問題から一回外して、また乗るときに括りつけてを繰り返すことになった。鍵付きのリアボックスがあればいいかもしれない。
  • USB充電とスマホホルダーは便利。ただアプリを使いながら充電するとiPhoneだとよく充電できなくなって困った。電圧が足りない?この辺は機械の問題かも。
  • 燃費は素晴らしく良い。70km/ℓくらいをキープしてくれた。
  • 自転車感覚で使うのはやはり難しい。やはり道交法上の制限を考えなければならない。歩道を行ける自転車がいかに便利かよくわかる。
  • 思っているより重い。
  • 曲がるとき下が擦れそうで怖い。
  • 30km/h(まあ実際はもう少し出しているが)という制限があるため、旅行の計画が立てやすい。目的地までの時間の感覚がつかみやすい。

とまあ、こんなカンジか。原付二種が欲しくなってきた。

引越しについての日記

大学進学を機に岡山に来て5年と少しが経った。9月いっぱいで、今住んでいる岡山から京都に引っ越す。研究と実家の都合を鑑みて地元に帰るのだ。

岡山市に来た時、北に山が見えてホッとした。京都という三方山に囲まれた土地で育ってきたので、 生まれてこの方、山という定点に方向感覚を頼っているからである。城下町だったおかげで、x軸とy軸のグリッドで場所を把握する感覚もすんなり掴めた。この辺りも京都とよく似ていた。岡山では同じ区のなかで2回引っ越した。しかし北に山があり、東には川があった。その景色自体が大きく変わったわけではない。ただ引っ越した土地の雰囲気が変わるのは好きだった。

岡山は、程々に都会、程々に田舎、広くもなく、狭くもなく、人生がそのままその土地で完結しようと思えば出来てしまうような広さであるように思った。岡山駅から歩いて行ける範囲には、百貨店やイオンがある。家電量販店もあるし、そこそこ活気付いている商店街もある。博物館や美術館も充実していて、比較的成熟した都市の趣きがある。何より喫茶店が多かったのも嬉しかった。

接した人たちも、良い人が多かった。良い人というか、純朴というか、良くも悪くも田舎の風土のなかで育ってきたような、そういった価値観をもった人が多かったように思う。 生活の過ごし方、振る舞いは、田舎のそれでだった。ヤンチャな子も多かった。しかし行き過ぎていない。やんちゃのベクトルがヤンキーなのだ。京都にいた頃、というか中高と、京都というより「関西」という括りの人間関係のなかで育ってきた。大阪はもとより、兵庫や滋賀や奈良から来ている友人も多く、ある種そういった他の文化圏の人間と接していく術を学んでいたが、裏を返せば同質の価値観を持つ集団に入っていく術を身につけていたわけではなかったのだ。

そういう意味で「公立高」至上主義の価値観が通底にある岡山はある意味で新鮮だった。 岡山は高校というブランドに価値が置かれる。もしかしたら、他の地方都市もそうなのかもしれないが。とにかく出身の高校、特に特定の公立高校への畏敬の念が感じられた。出身高校を言うと態度が変わる、なんて現場をたくさん見かけた。一方で、県外の高校なぞは歯牙にもかけないようだ。

おかげで、過去の自分を知らない人たちの前で、もう一度自分を表出できるのは良かった。「旅は恥のかき捨て」の拡大版とも言うべきか。5年半の長い旅行に行っていた気分でもある。そう思いながら夕飯の買い出しに行く。引越しまで間がないから、保存の利かないものや調理器具は大分捨ててしまっている。料理するのもあと数回だろう。

10月にはもうここにいない。