夜のベランダから

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JCBプラチナカード

経緯

JCBゴールドカード

  • なるべく現金を使わない生活をしたくて、クレジットカードを何枚か持とうと思っていた。
  • 既に、VISAで三井住友カード、Masercardで楽天カードを使っていて、大体はこの2枚で事足りているのだけれど、3種類くらい持ちたいなと思ってJCBを持つことにした。
  • 2020年4月にJCBゴールドカードを申し込んだ。なんだかんだでプロパーカードを持っとくといい気がする。翌日午前に職場に確認の電話が来て、その後メールを見たら審査を通過していた。

JCBゴールドカードを使う

  • 生活のあらゆる出費をJCBゴールドカードにまとめた。
  • 日々のスーパーの買い物、コンビニの100円おやつ、Amazonでの数万の買い物、書籍のまとめ買い、ポケットWifiの定期支払等々。
  • 引っ越しがあったので生活準備物のための出費も重なった。
  • 給付金も大きかった。10万もらったらそれ以上使うタイプの正しい(?)オタクなので、30万使った。
  • 何回か複数人で旅行に行くことがあって、毎回それらを一括して僕が立て替えた。旅行においてまとめ役の立場になることが多いので別に特殊なことでもない。

毎月の支払いデータ

支払い金額
5月 30,000くらい
6月 160,000くらい
7月 120,000くらい
8月 60,000くらい
9月 400,000 くらい
10月 180,000くらい
11月 140,000くらい
  • 表を見てわかるように、10月時点で合計支払い金額が100万を超えた。

JCBプラチナカードを申し込む

  • 支払い合計が100万超えたのを見て、「半年でこのペースで使ってんだから、もしかしたら審査通るんじゃね?」という謎の発想が湧いてきた。
  • 「数ヶ月で120万使ったらインビテーション来ました」みたいな話を読んだことがあった。ただし、それは本人の年齢や年収、およびクレヒスが、プラチナカードを使用すると想定される生活基準にありそうな人だったからだろう。
  • 今の年齢は20代後半。一年の収入は、日々の給料と株式投資で合わせて300万円半ばくらい。世代の最頻値にいることになる。今年の出費が人より多いという点くらいで異なっている。
  • 深夜のテンションでMyJCBアプリからアップグレード申請をしてみる。
  • 翌々日の午前に申込手続き完了メールが来た。審査通過したっぽい
  • 次の日にカード発送準備完了のメールが来た。早い。
  • その2日後に簡易書留でカードが届いた。

実物

f:id:antarctic_fox:20201116213308j:plain - 黒い

持ってなんか変わった?

  • 何にも変わらん
  • 持ったからといって生活を変えるわけでもないし
  • というより自己満足の世界なのでそれでいい。勲章みたいなもん
  • むしろこれからは、以前より使わなくなると思う。小市民なのでプラチナカードを普通に出して使うとか恥ずかしくてできない。ゴールドカードでさえ恥ずかしいと思いながら出してたのに。
  • クレジットカードのサービスは消費活動と結びついており、クレジットカードのランクを上げるのは、より金を出して消費活動の質や頻度を上げたいからである。つまり、クレジットカードを十全に使えるのは、それに見合うだけの消費活動に費やすことのできる資本がある場合に限る。
  • そうした観点からは、僕がこのカードを持つのはズレているかもしれない
  • もうちょっと使えるお金の量が増えて、余暇の過ごし方が変わればこのカードも本来の使われ方に近づいていくかもしれない

Apple Watch のこと

Apple Watch SE

はじめに

  • 届いた。
  • 40mmスペースグレイアルミニウムケース+スポーツループに、傷がつくと気になるのでカバーつけた。
  • 思っていたより楽しい。

機能

  • スポーツループ、つけるのと取り外すときにいちいち引っかかるので面倒臭い。ソロループにすればよかった。
  • 前につけていた時計より軽いので、「時計の重さを意識しながら腕を動かす」感が減った。
  • 電話やLINE通知の振動はありがたい。
  • 左手首につけるので、改札通るときに変な体勢になるのがつらい。機をみてSuicaスマホに戻すと思う。
  • 音楽を流しているときにボリューム調整ができるのが楽。ネジを回すのでアナログ感があって良い。これまではいちいちiPhoneを取り出して押すか、ズボン越しに押していた。
  • バイクに乗っているときのルート案内とか便利。ハンドルにスマホを固定できるけれど、したくないタイプの人なので、Apple Watchが振動と画面で曲がるタイミングを教えてくれて助かる。

ディスプレイ

  • スマートウォッチ的にはここを色々いじってほしいのだと思うけど、時計は能動的に操作するものであるという概念から離れられないので、日付・曜日・時間がでるだけのシンプルなやつにしてる。
  • カメラロールに保存した画像を使ってる。

f:id:antarctic_fox:20201101141457j:plain 学生の時たまに行ってた普通の喫茶店

f:id:antarctic_fox:20201101141423j:plain グアムでのダイビングのようす

f:id:antarctic_fox:20201101141301j:plain クロード・モネ「かささぎ」

f:id:antarctic_fox:20201101141615j:plain 植田正治「へのへのもへの」

f:id:antarctic_fox:20201101141524j:plain 植田正治「我有一本書」

f:id:antarctic_fox:20201101141650j:plain pixivで好きな絵師K,Kanehiraさんの絵

f:id:antarctic_fox:20201101141720j:plain 卒業旅行で行ったストックホルム(スウェーデン)の通り

f:id:antarctic_fox:20201101141753j:plain 卒業旅行で行ったポルドー(フィンランド)の喫茶店

f:id:antarctic_fox:20201101141829j:plain 学生の時たまに行ってたこたつのあった喫茶店

  • これらがランダムで出るようになってる(たのしい)。

便利?

  • 不便
  • 2日に一回は充電しないといけないのが笑える
  • 「動かさないと表示されない」ことを不満がっている人が多いって聞いたけれど、そもそも腕を動かさずに腕時計で時刻を確認するやついるんか。外すのなら腕時計で時間確認しなくてよくない?置き時計とかPC画面とかで時刻確認できるじゃん。
  • 腕時計を見るときに一度腕を振る癖があるので、なおさらApple Watchに合ってる。
  • TPOに合ってるかというと微妙。正直バンドの問題だと思うので変えたい。
  • Apple Watchのファッション戦略、ちゃんとしたものにするか思いきりふざけたのにするかの二択なので、今のところ話題作りにもなるしふざけたものにするのが最適解な気がする。

ランニングに最適化する

背景

  • ランニング中iPhoneが邪魔
    • iPhoneが揺れるのが気になる
    • 一時停止やラップタイムを確認したいときにいちいちiPhoneを解除しないといけないのが面倒くさい

目的

  • 音楽を聞きながら走れる
  • ラップタイムがすぐ見れる
  • ランニング後iPhoneと情報を同期できて振り返れる

環境

方法

  • iPhoneの「Apple Watch」アプリ>「ミュージック」で、Apple Watch単体でランニング中に聞きたい曲を同期する
  • Apple Watchの「ワークアウト」アプリ>ランニングでペース通知を「ローリング」にする
  • 走るときにワークアウトを開始する

結果および考察

  • 良い
  • アプリは「ワークアウト」と「Nike Run Club(NRC)」が二大派閥になっている。NRCは音声フィードバックがあるが、教えてくれるのは今この瞬間のペースとランニング全体の平均ペースのみで、直近の1kmラップタイムを教えてくれないのがダメ
  • ワークアウトは振動だけなので楽でよい

休日の過ごし方

  • 晴れて社会人になって、休日の過ごし方に変化があるかなと思っていたけれど、あんまり変化がない。
  • 朝9時くらいに起き、まずコーヒーを淹れる。各SNS、サイトを巡回しながらのんびりと飲む。
  • 外に出る用事がある場合、シャワーを浴びる。ここで髭を剃る。
  • そうこうしているとお昼近くになる。
  • お昼を食べながら読書をする。たまに論文を読む。
  • またコーヒーを淹れる。一日に3杯までと決めている。
  • 夕飯の買い出しは16時から行う。冷蔵庫や物置にはなるべく食べ物を置かないようにする。なるべくその日食べるものだけを買う。

  • 学生の頃は毎日が休日みたいなものだった(期日までに論文という成果を出せば良かった)だけで、結局休日自体の過ごし方は、社会人になってもそう大きく変化はしていない。

  • お金に余裕ができたので、買い物の量が増えたかもしれない。

  • COVIDのおかげで買い出しやランニング以外で外に出ることはないが、元々屋内で何かする、一人で何かする趣味ばかりなので、あまり影響はない。

  • そういう状況だから、「外に出てはいけない」みたいなストレスを感じることはない。
  • そういう意味では安定していて良いのかもしれないが、「社会人」としての進歩はないので周りとの目との折り合いをどうつけるかは考えなければいけない。
  • 社会で生きている以上、人の目を気にしないで生きるというのはありえないのだから。

1月の日記・雑記

1/5 卒業と次

大学院修士課程修了が現実味を帯びてきた。修了すれば働き始めることになる(一部界隈では「退院」と揶揄されている)。

大学生になってからは、社会において「学生」という属性がポジティブに受け取られることを早々に知って、その属性を利用し、また甘受してきた。この鍵カッコが付く「学生」は、若ければ若いほど効力を発揮している謂わば呪いみたいなものなのだが、それを僕は修士まで御守りのひとつとして活用してきた。

卒業と同時に「学生」ではなくなるため、この御守りは使えなくなってしまう。例えば、Twitterで「社会に出ると誰も注意をしてくれないだけで許されているわけではない。そして、あなたが気づいていない扉が音もなく閉じている」というのを見た。大学だって広義の「社会」ではあるけれど、「学生」でいたうちは誰か注意してくれていた人がいたのだ。

そういった恩恵ももうなくなるわけで、「社会人」になることより「学生」でなくなることを多少の覚悟しておかなければならないなと思う。

1/14 振り返り

修論がほぼ書き上がった。僕がこれ以上修正する気力が失せたと言ってもいい。論文提出の後も抄録の作成や口頭諮問の準備があるので、しばらく研究活動自体は続くが一応は区切りがついた。

ここ数日、自分の書いた論文を見直しながら、学生生活で出会った人たちのことを振り返っている。3年以上一緒にシェアハウスをした友人は元気だろうか。結局やってもらってばかりだった。肉ばかり食べていて野菜を一切食べていなかった先輩は結婚したらしい。結婚して野菜も食べるようになっただろうか。下宿から程近いところにある弁当屋のお婆さんは、僕を学生だと見るや、いつもご飯を多めに入れてくれ、さらにおまけでお惣菜を付けてくれた。それで350円だった。留学のために休学していた友人は去年まで大学にいて、僕がやりたいことに色々付き合ってもらった。よく温泉に一緒に行った。彼は地元で教師になった。最近インスタに投稿していないが、元気にやっているだろうか。

大学という、多様な評価軸が保障されている場所では、こちらが意図せずとも全くタイプの異なる人と関係を持つことがある。偶然性が排除されていないともいえる。その場所が心地良くて、もう少しで終わるのが寂しくもある。

12月の日記・雑記

インフルエンザに罹った

10年ぶりにインフルエンザに罹った。前に罹ったときの身体のだるさやしんどさはもう覚えておらず、「ただ頑張りすぎた後に来るだるさ」との区別がつかないまま2日バイトを頑張ってから病院に診察に行くことになってしまった。こういった病気のしんどさを感じることはご無沙汰で、すっかり他人のしんどさに共感できないところまで来てしまっていた。折角の機会なので、この身体のようすを覚えておこうと、日々の経過を紙に起こして意識づける。これを機に病気に関する間主観的なコミュニケーションの取っ掛かりを少しでも取り戻せれば良い。「つらさ」や「弱さ」に共感することはヒトにしか出来ない機能である。

診断してもらいに、住んでいるところから一番近い診療所に行った。ただそれだけの理由で行ったのだけれど、インフルエンザの診断中は待っているしか無いのでぼうっとしていると、ある医者がやってきて「君、昔A病院に入院していた○○さんの息子さんかな」と言う。聞けばその医者は開業する前はA病院に勤めていて、亡くなった父の主治医だったらしい。笑いながら「その節はお世話になりました」とだけ返す。久しぶりの病気と同じように、10年以上前に死んだ父に関する情動もほとんど無くなっているのか、お世話になったらしいその先生には何も思うことなく、ただ場当たり的に返事した自分に少し驚く。

ふと、「ヒトは忘れる能力を持っている」という話を思い出す。事実や客観知は結構長くまで残っていても、特に情動は比較的すぐに忘れてしまう。失恋だって1年もあれば笑い話できてしまうのはそのせいだろう。その昔は関係者であったであろうその医者に、もはや何の個人的感情も湧いてこないのは、時間が経って忘れてしまい、またその人との関係性をリセットしてしまったからなのだろうな、とも思う。長く付き合う人は定期的に会っている人だという理屈はなかなか理に適っているなとも思う。

修論を前に

あまり前向きにやろうと思って始めた研究ではないので、なかなか前に進まず気付けば提出一ヶ月前まで来てしまった。まだ取っていないデータもある。データを取る為には複数の人にお願いをしに行かないといけない。反面、別にどうでもいいと思う自分もいる。そもそも修士課程に行った目的は研究ではなく、他分野の勉強とモラトリアムを延長するためで、それはほぼ達成している。

とはいえ世間体はそう見ないし、一応2年近く指導してもらっている指導教員の僅かな期待にも応えないといけない。「しないといけない」ことが多い場合、苦行になる。こちらとしてはなるべく楽しくやりたいのだけれど、それは指導教員との相性にも拠るところなのだろう。

保育という仕事

みんな辞めていく。

本当に保育園は生きるために働くには向いていない。

賃金が安い。働く時間が定時で余暇の時間が比較的あるとしても、自分の豊かな生活のためにかけるお金が少ない。日本で生きている限り、楽しさの多くは〈お金と時間〉or〈お金と知識〉をかけることによって成立するので、お金が少ないと人生が楽しくならない(人が多い)。

賃金が安いから人が数年経てば辞めていく。本当にポンポン辞めていく。辞めていくから人が足りなくなる。少ない人数で保育を回すから、先生たちの余裕が常に無い。見ていて辛くなる。

辞めていくから人を育てるという思考が貧弱になる。加えて、保育そのものをセンスで成り立たせている先生が多すぎる。確かに保育の良し悪しを決める第一の要素が先生の持つセンスだ。ちょっとした変化に気付く能力とか文脈を読む能力とか気遣う能力とか。これらって、いずれも元々その人が持っているセンス(先天的能力)であって、組織としてマネジメントする分には伸ばしにくい能力なのだ。それによって保育という行為が成り立っているから、先生の持つセンスを信奉する。なおさら育てようという思考が出てこなくなる。前に話した人は先輩に聞かなくても察して動ける新人が欲しいと言っていた。いつまでもファンタジーの話をしている。

育て方、町工場の職人教育みたいなことになっている。「他の先生を見て覚えろ」「身体で動いて覚えろ」という。言語として「この場合はこうする」と教えることがほとんどない。というか時間がない。だから新しく入ってきた人が馴染みづらい。ウィトゲンシュタインは「言語によるコミュニケーションのためには、定義の一致だけでなく、(奇妙に響くかもしれないが)判断の一致が必要である」(『哲学探究』242節)という。判断の一致には時間がかかるし、そのためには既にいる人たちのフォローが必要なのだけれども、「現場」ではその一致を待っている時間がとれない。なので同じ言葉でも、先生が指している事柄と新しく入った人が考えている事柄はいつまで経ってもずれている。3年もった先生は、そういうふるいにかけられてごく僅かに生き残った先生だ。けれどその先生ももうすぐ辞める。

人が少ないから役職が少ない。小さい園では3年もいれば主任になれてしまう。けれどそこでキャリアは打ち止めになる。保育というキャリアの天井が見えてしまう。仕事において保育業務以外に時間がなかなか取れないので、保育研究に時間が割けない。保育という職業に就く目的から、保育の追求という道が消える。残るのは「子どもたちと接すると癒される」「あたたかい人間関係」という売り文句になる。なのでみんな辞めていく。......この記事、万が一僕の現場を知っている人に読まれたら一定の怒られが生じる気がしてきた。

これから保育園はどんどん潰れていくんだろうな。「保育園落ちた、日本死ね」によって待機児童の問題が騒がれてから、行政は数年でこの問題を解決しつつある。園からしてみれば不安と隣り合わせだ。行政に言われて園をバンバン作って、既存の園は定員を増やしたのはいいものの、すぐに少子化の波がやってくる。連盟に加盟している園は既に定員割れの話をしている。もう怪しい園もある。住宅地開発が進んでいる地域なのに。体力のない保育園はどんどん潰れていくと思う。当然、未来のない園で自分の人生キャリアは描けないのでみんな辞めていく。

税金かけて保たないと保育は成り立たないのに、教育・保育業界にはどんどん競争原理が入ってきている。もう、時代に合わせて縮小していくこと、上手く撤退することに照準を絞っていかないと地域の小さな園は生き残れないと思う。

なんか話がずれてきてんな真面目に論理立てて書こうと思ってたのにいや全然論理立ってないし一般論の塊じゃねえかあと保育の仕事の話をするのか経営の話をするのかどっちかにしろすんません終わります(お前こういう感じで終わるの良くないぞ)

指導者の感情労働【メモ】

  • 同期の研究を手伝っていて、自分が考えた内容の整理
  • ホックシールド感情労働
  • 教師による教育は、感情労働の側面をもつ。
  • 教育行為は、他者を望ましい方向へと変えようとする積極的な意図行為である。
  • このとき当然に、教師自身が他者の他者性をどのように捉えるかが課題となる。
  • 伊佐(2009)は教師の感情労働について、以下のような構造を明らかにしている。「子どもの感情に対する働きかけが教授行為の基本を構成しており、教師が教授行為そのものを成立させるためには、子どもの感情を規定すると同時に、自己の感情をも規定することが求められる」
  • 教育的関係においては、教育行為の成立に感情労働が必要となることが理解できる。
  • 伊佐の指摘で注目すべきは「教師の感情労働は、強制され、他律化されるという一面をもちながらも、それと同時に、日常的な教育行為を成立させるために教師自らが行うという戦略的な側面をもつものでもある」ということである。
  • つまり、教師が感情労働を戦略として積極的に引き受けるのだ。
  • それは、教師自身の、教師としてのアイデンティティを確立する行為としても働くだろう。
  • 問題は、他律化される感情と、教師自らが行う戦略的な感情が、矛盾する、あるいは一致しない場合である。
  • 今までは教師の話であった。指導者に話を広げよう。これまでの教師は学校教師の略称であり、ここでの指導者とは、教師を含めた「教える者」として捉える。
  • まず、指導者は教師以上に、他律化された感情労働の因子をもつ可能性がある。
  • もちろんこの因子は、教育的関係の契約によって増減する。
  • しかしながら、指導者を取り巻く因子が、教師以上に多様であることは容易に想像できる。
  • 学習者のみならず、学習者の関係者(家族、友達)・指導者の関係者(雇用主、同僚)・指導する内容そのもののエートス等々
  • 教師はこれらの因子が学校教育という制度によって固定化されていて、他律化された感情への戦略を練りやすいのかもしれない。教師になる人は、「教師」という立ち振る舞いに、ある種の了解をしているともいえる。
  • 教師の感情労働の側面も時代と共に変化はあるだろうことは容易に推測できるが、それは大きな変容でもないだろう。
  • 指導者に広げると、因子が社会の価値の多様化と関連しており、まず、取るべき「良い」感情を認識するのが難しいように思われる。
  • 他にも、個人が自律的に選択した感情労働は、そう簡単に切り替えがきくものでもないだろう。しかし、学習者の個別性が重視される場合、それとの折り合いをつけていくことは困難となるだろう。
  • 指導者は、どのように折り合いをつけているのだろう。

【参考文献】

伊佐夏実「教師ストラテジーとしての感情労働」『教育社会学研究』84、125-144、2009